こんどうじゅうぞう近藤守重
ヨフトホーヘル
明和八年、江戸町与力の子として生まれた。跡を継ぐなり盗賊をとっつかまえ、逢坂剛が小説化するほどの評判になる。
マンガにあるような運動により蝦夷地御用となって択捉島に渡り、「大日本恵登呂府」の碑を建てる(実際に揮毫したのは下野源助こと木村謙次)。さらに高田屋嘉兵衛に 択捉航路を開かせた。
彼が出したアイデアの中には、「札幌に政庁を置く」「小樽に港を開く」など多くの先見性があった。しかし人格の問題からか次第に窓際へ 追いやられていく。
近藤は富士山が大好き(というかカルト信者)だったので、大坂にとばされるとき目黒の別邸裏にミニ富士山を築造させていた。ところが隣家の百姓がこれを勝手に見世物 にして金儲けしていた。帰って来た重蔵は大激怒し争いになる。
息子が起こした殺傷事件で自分も評定所に引っ張られた。「昌平坂学問所を廃止しなければ自白しない」 などと訳の分からないことを供述して筒井政憲にたしなめられた。大溝藩にお預けとなったが脱走を試み、今度は日向・飫肥藩に移された。
文政十二年に没。その後 「近藤新富士」は昭和34年まで残っていた。
※ティータイムのおやつはコンペイトウが好き。意外とかわいい所もある。
十二83,111-114,170-211,257十三207,268十四22-24十六201十八269
幕末一94,96八170
A・「森銑三著作集第五・九巻」(1971.中央公論社)・島谷良吉「最上徳内」(1977.吉川弘文館人物叢書)・種村季弘「江戸東京《奇想》徘徊記」 (2006.朝日文庫)・洞富雄「間宮林蔵新装版」(1986.吉川弘文館人物叢書)
高田屋嘉兵衛/最上徳内/下野源助/ 大田蜀山人/筒井政憲

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