はざましげとみ
どかいしょもちっ
宝暦六年、大坂の質屋・羽間家に生まれた。生前の通称は十一屋五郎兵衛、号は長涯。
当時、大坂町人の間では舶来品が流行し、輸入雑貨店まで 存在した。重富の店にも望遠鏡とかを質草に持ち込んだ人がいたのかもしれない。麻田剛立の弟子となり洋式天文学を学び、高橋至時とともに江戸に行って 寛政改暦に参加。高橋は京で、間は江戸で観測を行う。そのための機器は京の金工戸田東三郎らを指導し国産化した。寛政九年、苗字帯刀を許され姓を「間」に変えた。
地元大坂での後進育成も忘れなかった。橋本宗吉の才能を見出し、援助して江戸の大槻玄沢に学ばせた。彼は玄沢門下四天王の一人となり、帰郷して大坂蘭学の先駆者と なったのだった。
文化十三年没(同じ年に山東京伝も死んだ)。
十二115,120-126,154,220十三59
A・金子務「江戸人物科学史」(2005.中公新書)・渡辺一郎「伊能忠敬測量隊」(2003.小学館)・中野操「大坂蘭学史話」(1979.史文閣出版)
麻田剛立/高橋至時/高橋景保/伊能忠敬/大槻玄沢

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