たかはしかげやす高橋景保
高橋作左衛門
天明五年生まれ、高橋至時の長男。若くして父を亡くし、後を継いで天文方となる。
天文よりも地理に熱中し、間宮林蔵たちの調査、亜欧堂田善の彫刻で 「日本辺海略図」「新訂万国全図」を完成させる。また蘭学者たちにショメール百科事典を翻訳させた「厚生新編」制作を指揮した。さらに独自の業績として 満州語の研究がある。
私生活に問題があったのは事実で、淋病に苦しんだりしている。晩年の伊能忠敬も手紙で嘆いていた。その伊能が死んだ時は嘆き悲しみ、 自分ちのよりでかい墓を建立した。シーボルトに地図をほいほい渡しちゃった事といい、第二第三の父親を求めて依存したがる心理があったのではないか。
文政十一年逮捕され翌年獄死。弟の景祐は渋川家の養子になり、天保改暦で日本の太陰暦を完成させた。
十二220,292十三59,273-275十四12-13,35-36,42,49-54,68,158-159十五211十七226,259
幕末八52二十五175
A・渡辺一郎「伊能忠敬測量隊」(2003.小学館)・呉秀三「シーボルト先生3」(1968.平凡社東洋文庫)
高橋至時/伊能忠敬/間重富/間宮林蔵 /亜欧堂田善

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