とくがわいえなり徳川家斉
徳川十一代将軍。尊号一件で日本中を騒がせたのを除けば、政治は前半が定信と「寛政の遺老」、後半は水野忠成にまかせきり。
自分でやった唯一最大の仕事は子供を55人作ったこと。それらが片端から大名の養子・嫁になっていくので、幕末の公文書を読むとどいつもこいつも松平で混乱する。
こうして履歴だけ見たらとうてい尊敬できない人に思えるが、家斉の代に取り立てられた川路聖謨は遠く佐渡の地で訃報を聞いて、「只落涙の外申上ぐべき様もこれ無し… かく軽き某を御取立ある御恩、少しも忘れなば、人にはあるべからず」と嘆き悲しんでくれた。会ってみれば何か魅力的なものがあったのかもしれぬ。
※家斉をモデルにした鈴木則文監督「エロ将軍と二十一人の愛妾」は蓮實重彦が絶賛した映画である。
九114-117,149,173十41-42十一224-238,275-276,297十二59,81,257十三42-45十四10,27,217-218十五15十六162-165,176-177
幕末一72-74十四18-19
A・「徳川諸家系譜全四巻」(1970-1984.続群書類従完成会)・藤田覚「松平定信」(1993.中公新書)・川路聖謨「島根のすさみ」(1973.平凡社東洋文庫)
一橋治斉/松平定信/大崎の局/平岡美濃守 /徳川家慶/一橋家重役/光格天皇/大黒屋光太夫

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