ひとつばしけじゅうやく | ? |
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陪臣が江戸城中をウロウロしているのはおかしなようだが、制度上御三卿家老は幕府から派遣された旗本扱いなのである。「大概順」だと
城中席次は上から11番目、大目付・町奉行より上で林大学頭より下。年棒二千俵の高給取りだ。また、特に田沼期は甲府勤番など窓際から抜擢された人が多かった。意次の
人選であろうか。 田沼時代から定信時代にかけての一橋家老は次の通り。 田沼能登守意誠・宝暦九〜明和元※意次の弟 田中出羽守勝芳・宝暦十三〜明和元 山木織部正伴明・明和五〜明和八 設楽兵庫頭貞存・明和八〜安永五 新庄能登守直富・安永三〜安永五 山口出雲守直郷・安永五〜安永七 伊藤志摩守照方・安永六〜安永七 水谷但馬守勝富・安永七〜天明五 田沼能登守意致・安永七〜天明元※意次の甥 稲葉主計頭正存・天明五〜七 林肥後守忠篤・天明元〜寛政三 山川下総守貞幹・天明七〜寛政二※前職は目付、佐野事件を検視した人 飯田能登守易信・寛政二〜文化二 伊藤河内守忠移・寛政三〜寛政九 こうしてみると田沼と一橋家は天明元年くらいまで同盟関係にあり、その後亀裂が生じたのが分かる。 | |
七89-90八39-40,200-204,220,224九27-28,97-101,105,108,114,138,147,166-169,172,195十一240-241十六176 | |
C・小川恭一「江戸の旗本事典」(2003.講談社)・「大日本史料・柳営補任(二)」(1963.東京大学出版会)・今川徳三「『鬼平』の江戸」(1995.教育出版) | |
一橋治斉/徳川家斉/田沼意次/松平定信/光格天皇/佐野善左衛門 |