げっしょう忍介のち忍向
文化十年生まれ、大坂出身。医者玉井宗江の倅から仏門に入り、二十三才で清水寺成就院の住職になる。国家鎮護を旨とする南都六宗系列の清水寺は昔から朝廷と繋がりが強く、月照も園中将家の猶子身分であった。ここで青蓮院宮や近衛忠凞の知遇を得たのが勤皇運動に巻き込まれるきっかけとなる。
潔癖で内向的な月照は寺の改革を試みるがうまくいかず、イヤになって嘉永六年信州に家出する。(これが「ペリー来航を憂いて諸国行脚」という話になった)境外隠居処分となって円通寺に退隠した月照は歌道に精進しようと近衛家に通うが、その近衛忠凞が攘夷運動の首謀者だったため公家・諸侯・志士の連絡役を仰せつかった。
この人の思想は唯識論・律・真言・浄土が渾然としてて解りづらい。端的に状況論から言えば、仏教界の堕落が身に沁みているから「このまま開国したらキリスト教に負けちゃう!」と思っていた。小林民部たちと奔走していたのだが、安政五年にいたり大獄が迫って西国に落ちる。薩摩にも見捨てられ、十月十六日西郷とともに入水自殺。
※周防国にも月性という勤皇僧(赤根武人・世良修蔵・大楽源太郎などの師)がいてまぎらわしい。幕府も一時カンチガイしてたくらいだ。
幕末十四25,89-100十五145-146,156,172,217-219十六32-36,52-56,173-184,187,203十七3,9,13-25,37-52十八183十九21,25,130,141二十八50,113
友松圓諦「月照」(1961.吉川弘文館人物叢書)「月性」(2011.ミネルヴァ書房)
信海/小林民部/三条実萬/鵜飼吉左衛門/近藤正慎/橋本左内

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