さんじょうさねつむ
三条家は藤原道長の家柄。先祖が竹内式部の一味として処罰されている。
実萬は享和二年生まれ。安政四年に内大臣になるまでに7回も武家伝奏として江戸に下向しており、多くの大名と面識があった。とりわけ友好的だったのが井伊直弼だった。 また学習院の初代学長も務めている。しかしこれらはあまり実入りのいい職ではなかったようで、

一文もなしの木町の内大臣忠義は人が百も承知ぢゃ

と京の落首に 書かれる始末であった。
貧乏でも勤皇心篤い実萬は飯泉喜内たちに説得され、水戸への密勅降下に関わった。このため辞任・出家に追い込まれる。
安政六年、 一条寺村で蟄居中に病死。ほとんど餓死ではないだろうか。息子の実美は復讐に燃え、長州に逃れ倒幕に邁進し明治政府の首班になった。親子そろって正一位を追贈され、 梨木神社に祀られている。
幕末十六53,69,175,187,191,196十七26,155,198十八15十九65二十二30
A・吉田常吉「安政の大獄」(1991.吉川弘文館)・「三条実萬手稿・二」(19.)
飯泉喜内/小林民部/橋本左内/竹内式部

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