とくがわなりのぶ徳川斉脩
徳川治紀の長子として生まれたのが寛政九年というから、無印12巻168ページあたりのことだが、連載がマキに入ってたころなので触れられなかった。 水戸八代藩主になったのは文化十三年、同巻280ページくらいだが、もう爆走編どまんなかで描いてる余裕などなかった。最初から可哀そうな人生である。
当時の水戸藩は『大日本史』編纂事業などで財政破綻まっしぐら。斉脩と将軍家斉の娘が結婚したのを機に、家臣たちが幕府に運動して借金をチャラにしてもらい、 さらには年間一万両くらいの補助金をもらえることになった。だがこれによって藩風は堕落して万事金次第の様相になり、大久保今助や河内山宗俊みたいな怪しい奴が横行した。 大津浜事件ではアメリカ人に食糧をめぐんで解放してやるという暴挙に走り、藤田東湖たちに痛憤された。
すっかりMな気分になった斉脩は、「私はどうしようもないダメな藩主だった! こんな私を蔑んでくれ!罵ってくれ!哀れんでくれ!」と遺言して文政十二年に死去し、哀公と諡(おくりな)された。でも作中ではシーボルト事件の大詰めなので当然省略された。 どこまでも哀しき一生かな。
この人の時代の反動で、斉昭が藩主になってから水戸学は一気に過激化していった。幕府滅亡の戦犯と言えなくもない。
※古今東西の「バカ殿」の例にもれず、斉脩も趣味人としては一流であった。藩祖頼房以来の名刀コレクションにまつわる由来を調査して『武庫刀纂』というカタログにまとめた。 これが後に「刀剣乱舞」などのタネ本の一つに使われている。哀しいだけの人生ではなかったですよ。
十三44-45幕末一74
B・長山靖生「天下の副将軍」(2008.新潮選書)・「日本思想大系・水戸学」(1973.岩波書店)
徳川家斉/河内山宗春/大久保今助 /藤田東湖/徳川頼房/水戸黄門

目次へ戻る