こうちやまそうしゅん河内山宗春
河内山宗俊
評定所による「御仕置例類集」では、グループで少額の強請を繰り返していただけの小普請組である。『藤岡屋日記』によると、水戸(彦根や松江という説もある) の陰富をネタにゆすって捕まり文政六年獄死。ただし葬られた北青山・高徳寺の過去帳では文政八年七月二十二日没となっている。
当時の記録で確かなのはこれくらいであり、『武江年表』『甲子夜話』等にも全然出てこない無名の犯罪者だったが、明治になって河竹黙阿弥の歌舞伎で一挙にダークヒーローとなったのだ。
※山中貞雄の映画「河内山宗俊」は、クライマックスでヒロインの原節子を逃がすため宗俊たちが一人ずつ盾になって死んでいく展開になる。 少年時代の山田風太郎がこれを観て感動し、のちに『明治断頭台』などで同じ趣向を再現した。さらにこれが現代のマンガ・アニメ・ラノベなどで 「ここは俺にまかせて先に行け」パターンとなって受け継がれている。
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A・井上ひさし編「明治の古典1怪談牡丹燈籠・天紛上野初花」(1982.学研)・今井金吾校訂「定本武江年表中」(2003.ちくま学芸文庫)・関川夏央「戦中派天才老人山田風太郎」(1995.マガジンハウス)
大久保今助

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