うきたひでいえ | 宇喜多秀家 |
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豊臣五大老の一人。関ヶ原の負け組・悪役にはみんな、再評価するファンがひとりくらいはいるのだが秀家ばかりは微妙。でも寿命で言えば最大の
勝ち組。…と思ったら真田信之が三年長生きしてますね。杉浦茂とかの太閤記でも宇喜多というのが活躍していた記憶がないのだが、どうしてこの人が大老になれたのか? 先祖が百済王とか児島高徳とか称する宇喜多家が備前児島にポット出てくるのは16世紀に入ってからだが、交通の要地を押さえて財力を蓄え、しだいに守護大名赤松氏系の旧勢力を押しのけていった。 秀家の父の直家はとりわけ梟雄の呼び声高く、周囲の豪族相手に政略結婚・裏切り・謀殺を繰り返し、備前国と美作国の顔役となった。やがて東から来た織田軍と西の毛利家に挟まれるかっこうとなるが、 直家は時勢を見極めて羽柴秀吉司令官が一番苦しいときに最高のタイミングで織田方へ寝返った。これを恩に着た秀吉は宇喜多を一族待遇で重用するようになったのだ。 こんな典型的表裏比興ノ者の息子として秀家は生まれたのだが、十一歳くらいで父は病死してしまったので権謀術数を学ぶ機会がなく、母子家庭でボンボンに育った。 秀吉は前田利家の娘を自分の養女として嫁にくれてやり、若いうちから根来征伐・島津征伐・北条征伐・朝鮮役と中央軍で起用し続けた。秀家は最前線で血みどろになった経験はなく、 負け知らずだが世間も知らないエリートになってしまった。 政治家として無能だったわけでもないが、義父につきあって能楽・和歌・茶道・鷹狩と金を使いまくるので領民は疲弊し家臣団は憤激した。 とうとう御家騒動が起こり一族家臣の相当数が家康陣営に走った。謀反した一族の中に千姫伝説の坂崎出羽守がいる。 あとはまあ漫画にあるとおり関ヶ原で負けて島津に助けられて、 八丈島に流され長い余生を送った。別れた奥さんの前田家とか離反した家臣たちが、やっぱり放っておけなくて仕送りをしてくれてたので生き延びたのだ。結局悪い人じゃなかったということだな。 | |
一34,87-88,97,108-109,120-123,188,218,251-252,266-269二26-30,33,104-106三143-145十四137十六232 | |
渡邊大門「宇喜多直家・秀家」(2010.ミネルヴァ評伝選) | |
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