こばやかわひであき羽柴秀俊のち小早川秀秋のち秀詮
アホウ、無能なひとりの男、裏切り者
原田眞人監督の「関ヶ原」は、当初のオリジナル構想だと秀秋君が実はすごい傑物で合戦のキャスティングボードを握っていて、 三成・家康を手玉に取って高笑いするみたいな新解釈だったらしい。そのあといろいろあって司馬原作ということにしたりしてあのなんだか微妙な仕上がりになっちゃったようだ。
史実の秀秋は豪傑でもアホでもなく、大体まだ子供なのに節義とか決断力とかだれも期待してないので、隆景から引き継いだ家臣や大坂政府から付けられた目付役たちが合議して、 何でも決めていたのだろう。だが秀秋も飾り物のままじゃ嫌だから強くなって自立しようとした。岡山に行ってから秀詮と改名し、重臣を粛清したり法律を整備したりして「名君」 になろうとしてたところで急死した。家が断絶したので後から好き勝手言われ放題になってしまったが、毛利秀元など同時代人はそんなに悪感情は持っていなかったのである。
※勝小吉「夢酔独言」に、家主の岡野さんという旗本のために摂津の領地へ金策に行く話がある。なんで摂津くんだりに領地があったかというと、 岡野家の先祖が小早川家調略に功あったからもらったのだそうな。他に、松平定信を助けた平岡美濃の先祖も裏切り関係者だという。
一23,49-51,82-85,97-99,115,123-127,172-175,189,252-265二33,93-103八71二十155
幕末一10
A・光成準治「小早川隆景・秀秋」(2019.ミネルヴァ書房)・原田眞人「原田眞人の監督術」(2007.雷鳥社)・稲垣史生「考証江戸を歩く」(1991.河出文庫)
石田三成/大谷吉継/毛利秀元/小早川隆景/徳川家康/ 宇喜多秀家/勝小吉/平岡美濃守

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