たかみせいこう | 鷹見定允 |
---|---|
― | |
※通称は三郎右衛門または弥一右衛門。 寛延三年または宝暦元年に巣鴨で生まれた。鷹見氏のルーツは三州加茂郡滝見(たきみ)村だそうだが、 古河の鷹見泉石の家とは戦国時代に分かれたらしく、ほぼ無関係といえる。荻生徂徠門下の祖父・正長が田原に仕官して以来、「爽鳩」 を通号として儒官を務めていた。徂徠学派は政治経済に詳しいのがウリなので、家老格で藩政にも関わっている。じゃあ田原藩があそこまで貧乏になった責任者じゃないのか? 星皐自身は細井平州に師事していたから、高山彦九郎や上杉鷹山の同門ということになる。彼の塾はなんと麹町にあったそうだが、どうやって金を工面したのやら。 崋山の師匠なのだからそりゃ立派な人だったろうが、生前に火事で作品が焼けてしまったそうで、その学風はよくわからない。文化八年十月に没、享年六十二。 | |
十三197-207 | |
小澤耕一「渡辺崋山研究」(1998.日本図書センター)・「江戸文人辞典」(1996.東京堂出版)・森銑三「渡邊崋山」(1978.中公文庫) | |
渡辺崋山/佐藤一斎/高山彦九郎/ 上杉鷹山/鷹見泉石 |