おくむらきさぶろう奥村増貤
生没年不詳。通称は喜三郎、職は増上寺御霊屋領の地方調役。天保八年には女学校の企画書なんてのも書いている。
天保九年に経緯儀 (遠洋航海に使える羅針盤兼天体観測機)を作った。天保十年崋山の推薦で江川測量隊に起用されるが、鳥居に「寺役人は不浄である」と難癖つけられ降板。天保十二年 からの消息は不明。
一説には伊能忠敬に測量を、本多利明に幾何学を、蘭学を司馬江漢に学ぶという。どこまで本当か分からないが確かに人脈は広く、 「経緯儀用法図説」にはなぜか平田篤胤が序文を寄せている。またなぜか甥っ子が小笠原貢蔵の養子になっている。
十五181-182
片桐一男編「日蘭交流史その人・者・情報」(2002.史文閣出版)
渡辺崋山/江川太郎左衛門英竜/伊能忠敬/ 本多利明/司馬江漢

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