ほんだとしあき本多利明
何とかいう算術の先生
「ほんだりめい」とも読む。寛宝三年越後に生まれ、十八で江戸に出て今井兼庭(関孝和の五世代あと)に数学を学ぶ。ついでに山県大弐に剣術を学び、 彼によって政治意識に目覚めたともいわれる。明和三年、二十四で音羽町に塾を開き音羽先生と呼ばれた(そのまんまやがな)。オランダの航海表を翻訳した「大測表」は、 三角函数真数表・対数表を日本に紹介し後世で大きな影響を与えた。
航海用測量術から西洋研究に関心が広がり、「経世秘策」「西域物語」などを発表する。 開国論者だが商人は嫌いで、幕府による貿易公社を提唱した。
田沼に蝦夷調査隊への参加を依頼され、代わりに最上徳内を推薦する (自らも享和元年蝦夷東岸に航海している)。
自身の業績より会田安明・坂部広胖など弟子育成の功績が大きい。特に加賀藩への影響力は強く、後に家計簿武士道が花開くのである。
八107九142,186-188十207,215-216十一9-28十二51
平山諦「和算の歴史」(2007.ちくま文庫)「日本思想大系・本多利明・海保青陵」(1976.岩波書店)
最上徳内/関孝和/田沼意次/山県大弐/奥村君

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