まつざきこうどう | 松崎密のち復 |
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通称は退蔵。号は五経先生などもあり。 明和八年生まれ、熊本の貧農の子で、一時お寺に入っていたが儒学を志し江戸へ出奔、 浅草の住職に援助されて昌平黌に入った。苦学時代は品川の娼婦が貢いでくれた(後に正妻とする)。人の親切を忘れず人に親切な人になったのだ。誰かとえらい違い。 林述斎の知遇を得て、掛川藩儒者となり江戸で開塾。しかし主家の太田家は直系が断絶し、母方の親戚から養子を取ることになった。 はじめ男系絶対論者だった松崎は反対していたが、会ってみるとなかなかの人物なので考えを改めた。(これが幕末編で井伊直弼と決裂してた老中の太田資始) 彼は次第に朱子学から考証学派(唐以前の遺物を研究する)へ移っていった。代表的業績は四藩の援助を受けて校訂・出版した「開成石経十二経」の翻刻である。 慊堂の私塾は今の渋谷区広尾3丁目あたりにあって、渡辺崋山と鳥居耀蔵両方の師匠だった。崋山助命のために奔走したが、鳥居は悪い奴にだまされていると思っていたようだ。 さらに慊堂はあの近藤重蔵とさえも親交があり、重蔵の流罪後に奥さんに頼まれて一家の面倒を見て、三男坊に職を探してやった。よほど変人属性があったのか。 学問では謹厳実直な慊堂だったが私生活は意外に放埓で、最初の妻と別居して妾を何人も変えた。好物は宇治茶とドブロクで、日記を読むと大槻玄沢などとも飲み友達だった。 あの顔でかなり酒豪である。そのせいか晩年は体調を崩し、天保十五年没。 ※作中に引用されている崋山作の手がヘンな肖像画は、文政九年の第一スケッチ。 写楽の大首絵みたいなもう一つのスケッチがあり、印象がぜんぜん違う。 | |
十五271,275十九32-34 | |
鈴木瑞枝「松崎慊堂」(2002.研文出版)・「慊堂日暦」全六巻(1970-1983.平凡社東洋文庫)・「渡辺崋山・秘められた海防思想」(1994.ぺりかん社)・ 工藤宜「江戸文人のスクラップブック」(1989.新潮社)・谷本晃久「近藤重蔵と近藤富蔵」(2014.山川出版社) | |
渡辺崋山/佐藤一斎/水野忠邦/近藤重蔵/大槻玄沢 |