とくがわいえさだ徳川家祥のち家定
上様
徳川幕府十三代将軍。
最後の最後で家茂と井伊大老を選んだので旧一橋派からは愚物とか廃人とかさんざんに罵られたが、元側近の証言だと言われるほどの暗君ではなく、自分なりに蘭学を勉強したりしていたそうである。阿部正弘が一度辞表を出した時は「開国は時勢によるものだからお前の責任ではないよ、今お前にやめられたら俺が困る」とまで言って慰留している。身体障害だけ見てまともに将軍として扱ってくれず、死んだ後の後釜ばかり考えている連中にキレてあのような断を下したらしい。
※山田風太郎「陰萎将軍伝」や大河ドラマ「篤姫」では馬鹿のふりをしていたことになっている。
幕末四20十一140-148十二35-36,54十三209-210十四21,102-115,120,163十五49,52-53,120,126,144十六25十七39十九17二十二32
A・「旧事諮問録」(1963.岩波文庫)・徳富蘇峰「近世日本国民史・開国日本(三)」(1979.講談社学術文庫)・久住真也「幕末の将軍」(2009.講談社選書メチエ)
徳川家慶/阿部正弘/マシュウ・カルブレイス・ペリー

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