やまがただいに | 山県昌貞 |
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享保十年、甲府勤番の幕臣の子供として生まれる。医学や儒学など片端から学び、大岡忠光の家臣となり勝浦の代官を務めたが、
幕藩政治の現実に思うところあって辞職し江戸で開塾。門弟千人を超えた。専門は垂加神道だが剣の腕もなかなかだったらしく、本多利明などに教えている。 宝暦九年、 古書の形を借りて「柳子新論」を発表。家が洪水に流された跡から偶然見つけました、とか言っているが誰も信じやしない。「尊王」思想は珍しくもないが、それを「斥覇」 として実行しようというのがヤバイのだった。小幡藩家老までが弟子になるにおよび逮捕され明和四年処刑。チチングの著書でも15ページにわたって紹介された当時の大事件である。 ※政治犯として処刑されたのに、なぜか彼が揮毫した歌詞碑は甲府に堂々と残っていた。寛政時代に本居宣長の文学碑を甲州に建てる企画があったのだが、それが大弐の碑の隣だと聞いて宣長は激怒し中止 させた。本居派国学からすれば儒教的イデオロギーを混ぜた垂加神道は邪道なのである。 ※※大弐が生まれた山梨県竜王町は山本周五郎の母の実家でもあり、 周五郎は「明和絵暦」など3作品で大弐を扱っている。 | |
幕末一78 | |
A・中澤伸弘「やさしく読む国学」(2006.戎光祥出版)・「日本思想大系・近世政論集」(1976.岩波書店)・「ティチング日本風俗図誌」(1970.雄松堂) ・木村久邇典「山本周五郎青春時代」(1990.福武文庫) | |
竹内式部/蒲生君平/高山彦九郎/本多利明 |