もうりひでもと毛利秀元
総大将御名代、大馬鹿三太郎
毛利元就の四男の長男。この漫画ではボンクラ扱いだが、若いころは一廉の人物と言われていた。秀吉が朝鮮役の様子見に行って途中で船が座礁したとき、 挨拶にきてた秀元がいち早く救出して称賛されたこともある。太閤は甥の秀秋を毛利の養子に押し付ける気だったのだが、このことで「血縁に優秀なのがいるならそちらでよい」 と秀元に任せることにしたという(かわりに小早川が犠牲になったが)。その後も朝鮮出兵では多くの戦功をあげており、まともに戦えばわりと強い武将だったのだろう。
また 『へうげもの』ではあんまり出てこなかったが実は古田織部の高弟であり、天下人クラスの茶器を所蔵し、織部の死後も武家茶道の発展に尽くし萩焼の創成に貢献したという人だ。 はじめから大馬鹿三太郎だと思われてれば、三成も重要拠点をまかせはしないし、家康も切り崩しをかけはしないよな。
こんなに文武両道の秀元は、 めでたく輝元の養子となるも、その後で輝元に実子が生まれたのであんたは分家・後見役ということになった。なんかこう不貞腐れてしまうのはもっともである。 本家の名代として関ヶ原に出陣したが、その顛末はマンガにある通り。戦後は長府藩主となり、長州藩初代藩主秀就を補佐した。平和な時代の政治家としてもけっこう有能であったようだ。 慶安三年に没。
※この人が建てた長府藩が赤穂浪士を粗略に扱ったので非難された、というのは幕末編21巻にあるとおりである。それが祟ったのか、 享保十年に八代目師就が松の廊下を通りがかった時、いきなり見ず知らずの松本藩主水野忠恒に斬りつけられた。 この時は吉宗が将軍だったから、両家とも取り潰さずにおいてくれて助かった。その逸話が「暴れん坊将軍V」第104話の元ネタになっている。
一22,53-68,123,128-134,169,176,188-190,213-217,300二8-17,76-91,202-209,287-289,298三7,20,35-40,65,124十四137,195十五104-105十九117 三十四25
B・光成準治「関ヶ原前夜」(2005.NHKブックス)・桑田忠親「古田織部の茶道」(1990.講談社学術文庫)・「毛利史料集」(1966.人物往来社)
毛利輝元/吉川広家/小早川秀秋/佐野道可/ 徳川家康/石田三成/長曾我部盛親/大石内蔵助/徳川吉宗

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