おおいしくらのすけ大石良雄
忠臣蔵は日本のみならず世界的にも有名な話であるが、おそらく日本から最も遠くで書かれた伝記はアルゼンチンの作家ボルヘスによるものであろう。 本項ではこれを基にして執筆する。世界的文豪の書くことだから間違いはあるまい。
いまは昔一七〇二年の春、名高いアコーの城主アサノは天皇の使節を接待し饗応する役に任じられた。 彼を指導する傲慢な式部官長キラは、アサノにほどけた靴のヒモを結ばせるなど数々の屈辱を与えた。アサノはついに怒ってキラの額に斬りつけた。 武家評定所の判決により死刑となり、アサノはアコー城の本丸でハラキリした。この時主君の首を斬りおとしたのが家老のオーイシであった。
四十七人の家臣たちがある時は険しい山頂にまたある時は森の中の神社で集合し、キラへの復讐を計画した。キョートに引っ越したオーイシは敵の目を欺くため豪遊し、 飲み屋の店先で顔をヘドまみれにして眠るなどしてキラを油断させた。
一七〇三年冬の身を切るような寒い夜、一党は江戸の町はずれ、橋と花札工場に続く庭園に集合した。 そこから主君の家紋をしるした幟を立ててキラ邸に行進し、二手に分かれて攻め込んだ。激戦でオーイシの長男チカラをはじめ九人が戦死した。夜が白みそめるころ、 ついにキラを発見した浪士たちは卑劣な式部官長を斬り、主君の墓へ首を供えたのだった。
浪士たちは自殺の特権を許され、燃えるような平静さでハラキリし、 主君のかたわらに葬られた。
「四十七人の義士たちの物語はこれでおしまいである。しかし、われわれにとってこの物語が終わることはない。 われわれは言葉をもって彼らを讃えつづけるだろう。忠義の何たるかを身をもって示すことはできなくても、そうありたいというひそかな願いは捨て去ることがないだろうから」 (中村健二訳)
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A・ホルヘ=ルイス=ボルヘス「汚辱の世界史」(2012.岩波文庫)
山鹿素行/徳川綱吉/吉田松陰

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