さなだゆきつら
松平定信の次男として寛政三年(モーツァルトが死んだ年)生まれた。改革で忙しいとき片手間に作ったにしちゃ出来がよく、真田家の養子になり 文政六年藩主となった。
佐久間象山を起用するなど、親父よりは進歩的な方向で藩政改革を進めた。地元で特に評価が高いのは千曲川の堤防工事であるが、幸貫は この工事をたった五人扶持の佐久間一学にまかせ、出来上がりを賞賛した。佐久間親子は感激し忠誠を誓ったのだった。
嘉永五年に没。
十六177-178十八144十九67-100二十23
幕末二190六89
B・松本健一「評伝佐久間象山・上」(1998.中公叢書)
水野忠邦/松平定信/江川太郎左衛門英竜/真田信之

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