とうじょういちどう東條弘
※「焚書以上人」という変な別名がある。言論弾圧に負けないぞという意味だろうか。
安永七年上総の豪農に生まれた。最初亀田鵬斎に学び、さらに京に行って皆川淇園(反朱子学で易経を重視した珍しい学者)に師事。他に羽倉簡堂や 佐藤一斎にも教えを受けている。つまりは折衷学派である。
京都で染まってきたのか、尊皇攘夷論者でもあった。阿部正弘にしばしば政治的進言をすることがあったという。 弟子代表が清河八郎・江幡五蔵・安積五郎(精校海国兵談の出版者)なのだから、塾の雰囲気が分かるというものだ。
隣の千葉周作と相互リンクでSEO対策をする。 しかし自分の弟子もみな千葉門下を名乗ってしまうので、かえって今では無名の人物に。安政四年没。
十九91
D・「日本の思想家25井上金峨・亀田鵬斎」(1984.明徳出版社)・「日本人名大事典・4」(平凡社)
亀田鵬斎/佐藤一斎/千葉周作/江幡春庵

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