えばたしゅんあん江幡道運のちに通誠
文化十四年生まれ。父は秋田出身で南部藩にやって来たひとである。春庵は諸国遊学に出て東條一堂などに学び、帰ってから南部藩医となる。 緒方洪庵門下ともいうが適塾門人帖には名前がない。
当時先代当主の利斉は息子の利義と反目して退位させ、さらに側近の田鎖左膳たちに利義派一掃を命じた。 春庵は利義に毒を盛れと命じられたが拒否、嘉永二年に捕らえられて獄中で自決。…というのは一方の言い分であり、真相はどうなのやら。 左膳も調べてみると佐藤信淵門下だったりしてなかなかの人物だが。
その後お家騒動は阿部正弘の知るところとなり幕府が介入して解決、田鎖も嘉永五年に家屋敷を没収された (万延元年まで生きてはいる)ので五蔵は仇討をやめた。
幕末二39-40
「三百藩家臣人名事典・1」(1987.新人物往来社)・「日本洋学人名辞典」(1997.柏書房)
吉田松陰/田鎖左膳/東條一堂/阿部正弘

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