イザーク・ティチング
カンチョー
1744年末くらいにアムステルダムに生まれた。東インド会社に就職、1779年(安永八)初来日。翌年いったん帰るが1781年(天明元)また来る。そこから 祖国の戦乱ですごく苦労した。
1783年出国したがすぐまた長崎に戻され、やっと迎えがきたと思ったらそのままベンガル行き。イヤんなって辞表を出すがさらに北京 出張を命じられる。
イギリス経由で1796年ようやくヨーロッパに帰った。オランダがなお政情不安定なので主にパリで東洋研究をまとめ多くの著作を発表。この間 クラブロート達と交流し日本のことを教えた。1812年(文政元)没。
あるトンデモ本では彼が最初に日本に来たフリーメーソンだとされているが、その10ページくらい あとに「三浦按針もフリーメーソン」と書いてあった。どっちやねん。
七70-76,113-125,221,284八63,96-97,261
A・「幸田成友著作集第四巻」(1972.中央公論社)・「ティチング日本風俗図誌」(1970.雄松堂)
林子平/ヘイト/田沼意知/司馬江漢/ クラブロート/ウィリアム・アダムス

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