こうろうさい高淡
※「国史大事典」ではコウリョウサイと読んでいるが、ここでは作中表記に従う。
阿波徳島で寛政十一年生まれる。代々医者の高家に養子で入る。 土生玄碩は義理の叔父と友人だった。
文化十四年から長崎留学しており、文政六年シーボルトに入門。江戸参府にも随行してよく協力したが一緒に逮捕された。 釈放後大坂で開業し、大塩の乱に巻き込まれたりして苦労するが、明石藩主の眼病を治療して典医になった。弘化三年九月病死。
もともと武家の生まれで武術の腕もあり、夜間外出時 には蛇鉄刀(どんな武器だろう?)を携行し、物盗りを一撃で斃したことがあるという。
※杉本つとむ「江戸の女ことば」(1985.論創社)には良斎の母が息子に宛てた手紙 が紹介されていて、実にいい文章だ。シーボルトは「シイ様」とか呼ばれてる。
十三250,263十四43,64,69-74,156-157十七9-12,47-48十八35,122十九226二十155
A・呉秀三「シーボルト先生3」(1968.平凡社東洋文庫)
高野長英/岡研介/美馬順三/土生玄碩

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