みまじゅんぞう美馬茂親
長崎の蘭方医
寛政七年に阿波の国那賀郡羽浦町岩脇で、蜂須賀家家老の用人の次男として生まれる。「家系姓氏大辞典」によると阿波美馬氏は蘇我家の流れで、わりあい名門みたいだ。
はじめ長崎通詞中山作三郎のところで語学・天文を学んでいたところ来日したシーボルトに見込まれて入門。実はシーボルトが鳴滝塾に来るのは週一くらいで、 日本人生徒にふだん代講していたのは美馬と岡研介だったという。
資性鋭敏、植物標本の採集や日本語文献の蘭訳などに活躍した。しかし文政八年六月十一日にコレラで死去。享年31。 シーボルトは彼の功に報いるため、翌1826年のドイツ産科年報に順三名義で論文を記載した。
彼は門下中別格の先輩としてみなに慕われていた。 二宮敬作などはどんだけ惚れていたのか「死んだら髪は故郷に、本体は美馬先生の墓(長崎大恩寺および岩脇紫雲庵)に埋めよ」とまで遺書していたという。 さすがに自重して楠本家墓所に移されたみたいだが。
十三26-41,117-124,248
呉秀三「シーボルト先生3」(1968.平凡社東洋文庫)・太田亮「家系姓氏大辞典・第三巻」(1963.角川書店)
岡研介/高良斎

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