はぶげんせき土生義寿
安芸吉田に明和五年生まれる。先祖が朝鮮で眼科を学び以後代々医者をやってきた。諸国を遊学して大坂で開業。膿・白内障を治療する術式を自力で 開発。それが奇しくも西洋医学と一致していたので、正確には蘭方医ではない。
文化五年より江戸に進出、同七年将軍家奥医師となった。天文方の高橋景保を手伝わすため、 長崎から通詞を呼ぶ周旋などの働きがある。
しかしシーボルトとの取引が発覚して逮捕、のち永蟄居。晩年刑がゆるんでこっそり治療活動をしていた。 嘉永元年八十七才で没。
※「男の花道」の題名は、真珠湾奇襲のニュースを聞いた古川ロッパがエキサイトして「戦争じゃ、男の花道!」と叫んだのが由来なんだって。
十三271-272十四11-12,42,49,62-63,69,78-102二十121
幕末五208
呉秀三「シーボルト先生3」(1968.平凡社東洋文庫)・「日本思想大系 洋学・上」(1976.岩波書店)・マキノ雅裕「映画渡世地の巻」(1984.角川文庫)
中村歌右衛門/高良斎/高橋景保/吉雄忠次郎

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