にこらいいっせいニコライ=パヴロヴィチ=ロマノフ
エカテリーナ2世の孫、パーヴェルの子、アレクサンドル1世の弟、もひとつおまけにオランダ王ウィレム2世の妻の兄。
1796年生まれ、1825年ロシア皇帝に即位。さっそく改革派将校によるデカブリストの乱を鎮圧し、皇帝直属官房第3部(KGBのルーツ)を使って ドストエフスキーなどの危険人物を片っ端から死刑・流刑にした。シベリアの極限状況から「罪と罰」「悪霊」などの名作が生まれたのであった。
対外的には属国ポーランドやハンガリーの民族運動を弾圧しまくり、西側へ亡命したショパンは望郷の歌をたくさん作った。ブラームスは「ハンガリー舞曲集」を、リストは 「ハンガリー狂詩曲」を作曲してハンガリー人を応援した。「海底二万里」のネモ船長も裏設定では東欧人で、独立戦争に敗れて海底に潜ったのである。
スラブ民族を助ける名目でバルカン半島に出兵し、調子に乗ってトルコ侵略を続けたので英仏の介入を招き、泥沼状態になった。セバストポリに従軍し戦争の悲惨さを 思い知ったトルストイは「戦争と平和」を書き始めた。パリではギュスターブ・ド・レがマンガでロシアを風刺しまくり、これがバンド・デシネの草分けとなった。
1855年インフルエンザをこじらせて没。こうしてみるとロクなことをしていない暴君だが、にもかかわらず暴君である事によって世界芸術史に大きく貢献した。
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土肥恒之「よみがえるロマノフ家」(2005.講談社選書メチエ)・デヴィッド=ウォーンズ「ロシア皇帝歴代史」(2001.創元社)・西原稔 「クラシックで分かる世界史」(2007.アステルパブリッシング)・「ロシアの近代化と若きドストエフスキー」(2007.成文社)・杉本淑彦「文明の帝国」(1995.山川出版)・ 古永真一「BD第九の芸術」(2010.未知谷)
イワン雷帝/エカテリーナ女帝/大黒屋光太夫に馬車を貸した皇太子 /アレクサンドル一世/ウィレム2世

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