ほんじょうもへいじ本庄辰輔?
元は長崎会所の唐・商買紅毛方取締であったが罪を犯して出奔した。江戸に出てしばらく町医者をしており、やがて鳥居にちかづいた。このころ井上伝兵衛を暗殺したという。
ある夜、元側用人水野美濃守の家来と名乗る者が大井村教光院にやって来て、水野忠邦の呪詛を依頼した。しばらくして水野美濃は忠邦呪詛の容疑で訴えられた。賢明なる読者はすでにお分かりと思うが、美濃守家来を名乗っていたのは忠邦・鳥居の意向を受けた本庄である。
天保十三年、高島秋帆を訴える。しかし二年後には自分も捕まり中追放となる。
弘化三年出獄し、江戸を出ようとしたところで熊倉伝十郎と小松典膳に討たれた。
※護持院が原では仇討が2回あり、森鴎外の「護持院ヶ原の敵討」はもう一つの方。
十七67-72,86-87,205-212,272十八25-26,58-65,88,172-179
A・「高島秋帆」(1958.吉川弘文館人物叢書)・松岡英夫「鳥居耀蔵」(1991.中公新書)
井上伝兵衛/井上伝之丞/井上伝十郎/後藤三右衛門/花井虎一

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