ごとうさんえもん後藤光亨
信州飯田(水野忠邦の盟友・堀大和守の領地)の豪商の四男に生まれた。金座・後藤家の養子になり家運を盛り返す。また林述斎に入門し鳥居耀蔵と知り合った。
逮捕時の供述書によれば、鳥居と親しくなったきっかけは「音楽」なんだそうだ。こいつらのバンドっていったいどんなサウンドだったのだろうか。
文政時代から8度にわたる貨幣改鋳で私腹を肥やし続けていた。全盛期には日収二百両というからすさまじい。
実家の手蔓で水野忠邦にいち早く接近し多額の献金をしていたようだ。 矢部定謙(天保七〜九年の勘定奉行)とも関係はあるはずだが、記録が見つからない。
天保の改革が挫折すると堀大和守に陳情書を提出して全部鳥居のせいにしようとしたが、 結局死罪になった。
十七170-178,272十八55-56,142-146
A・「水野忠邦」(1969.吉川弘文館人物叢書)・松岡英夫「鳥居耀蔵」(1991.中公新書)
水野忠邦/徳川家慶/矢部定謙/本庄茂平次

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