おくだいらまさたか奥平昌高
良沢を保護した中津藩五代藩主。島津重豪の次男として安永四年生まれ、天明六年夭折した奥平家四代昌男の末期養子となる。
藩風や実父の影響もあり、家臣の神谷源内とともに蘭学を学び「中津辞書」などを編纂させた。江戸屋敷では障子をガラス張りにし、フレデリック・ヘンドリックという蘭名をも称していた (命名はドゥーフ)典型的蘭癖大名。その分藩財政は苦しく、七公三民の重税で一揆が起きたりした。
文政八年隠居したが、その後も藩政に関与し続けた(父のマネ?)。 福沢諭吉を苦しめた門閥問題については昌高も気にしていて、茶坊主を抜擢して財政再建にあたらせたりしたが(やっぱり父のマネ?)うまくいかなかった。
文政十年シーボルトと面談。ペリー来航時のアンケートには「断然開国」と答えたが、現藩主は「攘夷鎖国」と回答したので親子喧嘩かと話題になった。安政二年没。
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B・岩崎克己「前野蘭化全三巻」(1996-1997.平凡社東洋文庫)・「新編物語藩史第11巻」(1975.新人物往来社)
前野良沢/奥平昌鹿/島津重豪/ドゥーフ

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