おくだいらまさか奥平昌鹿
殿
奥平家はもともと東三河の豪族で、長篠の合戦では長篠城を死守して家康に感謝され、娘を嫁にもらい松平一族待遇になった。吉宗の時代になって丹後宮津から中津へ転封してきたのである。
良沢に蘭学を学ばせた昌鹿は、中津藩主としては三代目。延享元年生まれ、安永九年没。前領主小笠原家の暴政で荒廃していた中津は彼の代でようやく安定した。 租税制度を改正したり老人への福祉を始めたり、顔には出さなかったけどオランダの化け物が好き勝手してる間けっこう苦労していたのである。良沢先生も恐縮するわけだ。
実は国学も賀茂真淵に学んでおり、明治37年刊の「国学者伝記集成」(1997復刻.東出版)に載っている!
六14-20,325
幕末九41
B・岩崎克己「前野蘭化全三巻」(1996-1997.平凡社東洋文庫)・「新編物語藩史第11巻」(1975.新人物往来社)
前野良沢/奥平昌高/島津重豪/吉雄幸左衛門

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