くわばらいよのかみ桑原盛員
蝦夷地調査隊に解散命令を出した人。桑原家は綱吉時代に新規採用された家柄で、書院番・五百石。盛員(もりかず)は享保六年生まれ、 元文三年に家督を継ぐ。
長崎奉行などをへて安永五年より勘定奉行になり、主に関東地方の行政を担当していたようである。つまり世代的にはむしろ田沼派であり、 先にクビになった松本秀持たちの残務整理をやらされていたわけだ。損な役回りですね。
そんなわけで彼は定信政権下において重用されていたわけではないが (一応大目付)、その定信がクビになった時は涙を流して惜しんであげた。実はいい人だったのかもしれない。
寛政十一年に没。
九132,139
C・H・山本博文「武士の評判記」(2011.新人物往来社)
山口鉄五郎/佐藤玄六/青島俊蔵/最上徳内/ 松平定信

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