くすのきまさしげ楠木正成
忠君愛国の鏡、国民的英雄
家来が五百人くらいの地方武士だけど後醍醐天皇が北条幕府に追われ追われてどうしようもなくなったときふと出会って いきがかり上後醍醐天皇を守るために幕府に反旗をひるがえして戦いつづけ湊川で戦死した男。まあ生前の実像はともかく、死後の幻像が後世日本にすごい影響を与えた。
・長久保赤水は正成が作った玄武(カメ形)の神鈴なるものを所蔵していて、見せられた高山彦九郎は感激したという。
・蒲生君平も熱烈な大楠公ファンであった。友人たちと酒を飲んでいて、ちょっとトイレに行って用を足していると酒席で正成の悪口を言っているのが聞こえた。 蒲生は怒ってそのまま座敷に飛び込み、部屋は悲惨なことになった。
・楠木軍の旗印には「非理法権天」という謎の五文字が書いてあって誰にも意味が解らなかった。 これを解読したのが二宮尊徳だという。
「理があっても頼みにならず、権に押されることがある。また、理を曲げて法は立てられよう。権でもって法を圧することもできよう。 けれども、天がある以上、それをどうすることも出来ない。」
つまり正義はいつか実現するという意味なんだって。
・封建嫌いの福沢諭吉は『学問のすすめ』中で「楠公権助論」という批判を書いて物議をかもした。おかげで学徒兵は慶應出というだけで殴られた。
・神戸の横溝家は湊川神社の氏子で、子供には正成にあやかってマサシと名付けた。のちの横溝正史である。
三178-181
A・佐藤和彦編「楠木正成のすべて」(1989.新人物往来社)・「日本の名著・二宮尊徳」(1970.中央公論社)・横溝正史「真説金田一耕助」(1979.角川文庫)
高山彦九郎/長久保赤水/足利尊氏/水戸黄門

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