あしかがたかうじ足利高氏のち尊氏
天下をのっとりくさった大悪人
死んでから高山彦九郎に墓をぶんなぐられたり攘夷派に木像の首を切られたり災難な人だけれど、 実際それほど悪人でなかったのは大河ドラマなどでみなさん御存じでしょう。ここでは風雲児たち登場人物に関連する話だけ書きます。
室町幕府が滅んでも足利家は残っており、たとえば古河公方系統の子孫は喜連川と名を変え、 栃木の山奥に格式十万石実質五千石くらいでひっそり続いていた。杉田玄白の奥さんはここの藩士の娘であった。
水戸黄門は大日本史で尊氏を悪者にしてしまったが、ちょっとは気がとがめていたらしく、こんな遺言を残していたという。
「喜連川家に跡取りがいなくなったら、三百諸侯で養子をくれるところはなかろうから水戸から一人出してやれ」
そんなわけで幕末の文久二年、徳川斉昭の十一男が養子に行って十二代目縄氏となった。維新後に喜連川家は足利姓にもどり華族となったが、 学習院で日本史の授業になると肩身が狭かったそうだ。
三177四101-104八123
B・吉川英治「随筆私本太平記」(1990.講談社吉川英治歴史時代文庫)・片桐一男「杉田玄白」(1971.吉川弘文館人物叢書)
高山彦九郎/杉田登恵/水戸黄門

目次へ戻る