いしでたてわき
幕府の牢屋預かり石出家は代々帯刀を名乗った。ここでは明暦大火のときの常軒(吉深)、長英が破獄した時の常真を併せて語る。
常軒は北千住に住んでいた石出氏の次男ではじめ佐兵衛といったが、学才を認められ召し出されて囚獄になった。単なる人情家の刑務所所長でなく、 山鹿素行に学び山崎闇斎に教えて垂加神道を生んだ日本思想史上重要人物である。おそらく何か深い思想で切り放しを断行したのだろう。 ただし俗に牢奉行とはいうが本当は町奉行配下の一役人で、牢屋のカギも手元には保管していなかった。なのでバールのようなもので扉をぶち破って出したと思われる。 とにかくこれで認められて代々伝馬町を任せられるようになった。寛文七年に隠居、元禄二年三月二日没。
子孫はこの慣習を受け継ぎ、常真は天保十四年の火事で長英を切放した。 本当はまだ鳥居時代の話なのだが、遠山と親しかったのは事実で、金さんの墓に石灯籠を寄進している。
※山田風太郎「警視庁草紙」のなかには「最後の牢奉行」という話があって、 ドラマ版では佐野史郎が明治時代の帯刀を演じていた。
十八78-88
森銑三「偉人暦続編上」(1997.中公文庫)・堀勇雄「山鹿素行」(1959.吉川弘文館人物叢書)・岡崎寛徳「遠山金四郎」(2008.講談社現代新書)
保科正之/山鹿素行/高野長英/遠山金四郎

目次へ戻る