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アッケシの総部酋長 | |
生年不明、厚岸の乙名(首長)カモイボンデンとヲチケニイの子として生まれ跡を継いだ。その先祖はかつてカムチャツカに行って、多くの獣魚の干し肉を持ち帰り、
それにちなんでカムチャツカをカムチャツカ(アイヌ語で肉干し)と言うようになったという。ややこしいな。 漫画だとシェルパみたいに描いてあるが、 実は一族郎党60人を率いており、クナシリ・メナシの乱で鎮定に尽力しアツケシ・カムイと呼ばれ畏敬された。蠣崎波郷の「夷酋列像」解説によれば石つぶての名手だったとも。 彼は近藤重蔵にも協力しエトロフ島を任せられるようになった。しかし現地アイヌからすれば和人の手先となって島を乗っ取りくさった奴であり、いろいろ悪い噂もつたえられている。 いわく、性質残忍暴悪。妻妾を十何人も持つ。言いがかりをつけてはカツアゲして勢力を拡大した。食糧を身内で独占する。…あまり信じたくないことだが。 文政三年くらいに没。 ※NHK「日曜美術館」によると、蠣崎波郷は「夷酋列像」の酋長12人のうち実際に会ったのは5人くらいだった。イコトイたち7人の分は別人の像をちょこっと修正して作ったものらしい。 あと、着飾っている衣装も藩の蔵から引っ張り出して着せたもので、ふだんあんな贅沢な格好はしていない。 | |
八115,188,207,232-233,256-259九6-17十62,110-111十三268 幕末一94七84 | |
A・「日本史人物辞典」(2000.山川出版社)・「エトロフ島・つくられた国境」(1999.吉川弘文館)・中村真一郎「蠣崎波響の生涯」(1989.新潮社) | |
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