しまづいえひさ | 島津家久 |
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島津家十八代当主、江戸時代の藩主としては初代。同名の叔父さんがいてややこしいが、こちらは最初忠恒と名乗っていた。 もともと義弘とは対立していたので徘徊老人が上方の戦にまきこまれてもほっておいたのだが、気がついたらすごいことになっていて困った。結果的に戦力が温存されてたから、 関ヶ原の戦後処理に自ら上洛して処罰なしですませてもらった。しかし藩内は義久派・義弘派などバラバラであり、内部問題を解決するためにも琉球征伐が企画される。 また家康と交渉して許可をもらい、この時一字もらって家久と改名した。 慶長十三年に琉球に侵攻したちまち制圧(自分では渡海していない) して独自の貿易ルートを確立した。また本国でも外城制の整備等を行い薩摩藩の基礎を固めた。寛永十五年(島原の乱が終結したころ)没。 | |
一190,202-209二22-30,33,153-162,192,285-287三19-20,35,65十八232 幕末一10二十八102 | |
B・上里隆史「琉日戦争一六〇九」(2009.ボーダーインク)・光成準治「関ヶ原前夜」(2005.NHKブックス) | |
島津義弘/島津重年/宇喜多秀家/ 木戸岡大屋の介/東郷藤兵衛重位 |