とうごうとうべえじゅうい東郷重位
永禄四年生まれ、耳川の戦いで初陣を飾る。最初タイシャ流を学んでいたが剣豪というほどではなく、金細工や蒔絵で身を立てるため京都留学に行った。ところが下宿先の隣にある寺の坊主が剣術マニアで、彼から日天真正自顕流を学ぶことになり、その他法華経の精神やら何やら加えて示現流の一派を立てた。
慶長九年の御前試合に勝利し家久の剣術師範となる。といっても主任務は上意討ちのヒットマンで、広く藩士に教えたわけではない。寛永二十年没。
薩摩にはもともと野太刀流という剣術があり、その師範・薬丸兼陳は東郷に入門しやがて「野太刀自顕流」として独立した。一般の薩摩藩士が使っていたのはこちらの方。
二146-154
「日本の剣豪二」(1985.旺文社)・島津義秀「薩摩の秘剣」(2003.新潮新書)・「三百藩家臣人名事典・7」(1985.新人物往来社)
島津家久/宮本武蔵

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