しまづよしひろ島津義弘
島津家十七代当主、と言えるかは微妙である。兄義久が関ヶ原の後までずっと健在であり、義久から家久(忠恒)に直接譲位されたとも考えられるのだ。
島津の戦闘隊長として数々の武勲を立てたが、勝てば勝ったで内部矛盾が広がり分裂していくのは幕末明治と同じ薩摩の通弊である。豊臣贔屓だったのは義弘だけで、本国の義久たちは不同意だったので千そこらの兵力しか動員できなかった。それでも東軍中央突破で意地を見せて大坂に生還。なんとまだ戦うつもりだったが、毛利が勝負を投げたので帰国した。あとは家久に和平をまかせて隠居。元和四年没。
関ヶ原に行った薩摩兵は、義弘と落ち延びた数十人の他にも捕虜になったのが数百人いて、講和後帰国できたそうだ。良かったね。
一38,89-92,123,142-169,176,188-204二75三65,219十三93十五54-56
A・桐野作人「関ヶ原・島津の退き口」(2010.学研新書)・光成準治「関ヶ原前夜」(2005.NHKブックス)
島津家久/石田三成/徳川家康/宇喜多秀家

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