なかむらうたえもん大関市兵衛
加賀屋・三代目
「男の花道」伝説の真偽について、私の読んだ限り全ての歌舞伎史書は否定どころか言及すらしていない。シーボルト事件の時の歌右衛門は三代目 だが、天保七年正月に四代目に名跡を譲っている。土生が禁固を解かれたのは天保八年なので、すでに中村玉助名義のはずである。
素顔の三世はチビの醜男だったが、 舞台では芸の力で美丈夫に見えたという。女形もこなしたが基本は立役。藤間流舞踊を取り入れたのは四世、女形の代名詞になったのは明治の五世から。
なお、 江戸で中村座のスポンサー兼プロデューサーだったのが大久保今助。
十三271-272十四80-102,134十六282
新版歌舞伎大辞典(2011.平凡社)・渡辺保「江戸演劇史・下巻」(2009.講談社)
土生玄碩/大久保今助

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