ぜにやごへえ銭屋五兵衛
安永二年宮腰の材木商隠居分家に生まれる。幼名茂助。文化年間より海運に進出。天保時代には加賀藩の財政改革に深く関わり、銭屋は隆盛を極めたが 民衆の妬みも高じ、藩の政策変換とともに立場が危うくなった。嘉永五年、新田開発を巡り流言をもとに逮捕され十一月二十一日牢死、家名断絶。
維新後海外雄飛の 気運に乗ってその生涯が伝説化されたが、当時の海運業者としてはごく普通の活動しかしていない。開国主義者・密貿易説は全て確証がなく、自分で船に乗った事もないらしい。
二十202
木越隆三「銭屋五兵衛と北前船の時代」(2001.北國新聞社)
大黒屋光太夫/高田屋嘉兵衛/渋田利右衛門

目次へ戻る