とみやまげんじゅうろう富山保高
幕府の役人。ラクスマンとの交渉団に加わり、ロシア側に申し渡す文章の翻訳を命じられ、トラベスニコフとともに苦心惨憺、どうにか訳した。 まあおかげでロシア語を覚えられたのだった。
享和元年ウルップを調査、ロシア人を退去させ記念碑をたてた。その後も箱館奉行所や松前奉行所で地道に働いてた ようだが詳細不明。
十一285十二215-216
E・「日本近世人名事典」(2005.吉川弘文館)・木崎良平「漂流民とロシア」(1991.中公新書)
トラペズニコフ/大黒屋光太夫/磯吉/アダム・ラックスマン

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