しまだとらのすけ島田直親
武術家の正確な伝記を書くのは不可能に近い。そいつの真の強さを知ったものは全員その場で斬り殺されている道理であり、 「竹刀だから相討ちだったが真剣なら拙者が死んでいた」みたいな曖昧な評価しか世間に伝わらないのである。まあできるだけやってみよう。
文化十一年中津に生まれる。地元には島田神社なんてものがあるくらいでなかなかの名家であった。虎之助の子孫によれば「福沢諭吉の父も島田家の家来だった」 そうな。
幼時しばらく人吉へ養子にやられており、熊本の山野で暴れて育ったという。豊前に戻ると文武に励むようになり、地元の堀道場で一刀流を、 日田の広瀬家に漢学を、福岡の仙涯和尚から禅を教わったという。一日30時間くらい修行してた勘定だ。
武者修行に旅立って柳川の大石進ほかを次々と撃破 (大石は男谷精一郎と同じくらい強いはずだけど?)、天保七年江戸に出てきたが、色々あって天狗の鼻を折られ男谷精一郎の門下生となった。 三年くらいで門下最強になり、独立して深川霊岸に道場を開く。
勝海舟などの弟子を育て嘉永五年没。当時は攘夷派だと思われていたようで、 「ペリー来航時に墓が吠え出した」という伝説がある。
※中里介山「大菩薩峠」では死後十年も経ってから新徴組をバッタバッタと斬りまくり、机龍之介に説教をかます。 「小説を面白くするためにはこの程度の嘘は瑕瑾にもならず、むしろ必要であるということを私はこれから学んだのである」(山田風太郎)
十五10-25,203-204十六36-42,80-92十七71-73,113,163-169十八20,28-30,59-62,94,175-179,184-195,274十九7-24二十8-17,215
幕末二162-179十36
「日本の剣豪四」(1985.旺文社)・「森銑三著作集9」(1972.中央公論社)・山田風太郎「武蔵野水滸伝」(1993.富士見時代小説文庫)
勝小吉/井上伝兵衛/福沢百助

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