らいしゅんすい頼惟寛のち惟完
山陽の父。芸州賀茂郡竹原の紺屋に延享三年生まれる。土地の者に朱子学などを学び明和のころ大坂に行き、のちに「寛政の三博士」と言われた学者たちと交際。このとき山陽が生まれた。
天明元年安芸藩に仕官。幕府に先駆けて異学の禁を実施。というか定信に異学の禁を勧めたのがこの人なのだ。
詩・書の日常的で穏健な作風は息子と大違い。いったん山陽を絶縁したが晩年に和解した。文化十三年没。
天明時代に編年体の歴史書を作りかけたことがあり、その遺志を継いだのが山陽の「日本政記」。
六327-328八70-74十四127
A・「日本の名著・頼山陽」(1972.中央公論社)
高山彦九郎/頼山陽/松平定信

目次へ戻る