いなむらさんぱく | 稲村箭 |
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海上随鷗 | |
宝暦八年鳥取生まれ。町医者の子から藩医の養子になった。同郷の親友が桂園派の歌人・香川景樹で、三伯もまた深い文学的教養を有していた。
これが後でハルマ編纂の役に立つ。 藩の許可を得て江戸に出て(後述の事情で藩に迷惑をかけぬため最初から脱藩してたことにしたのだ)大槻玄沢に入門し、 門下四天王の一人になる。(※他の三人は橋本宗吉・山村才助・宇田川玄真)石井庄助たちの協力を得て「江戸ハルマ」を完成し自費で刊行し賞賛された。しかし人生 一寸先は闇。 荷物問屋をやっていた弟が不渡りを出ししたかどで三伯も罪を問われた。武士としては切腹ものだが老母を残して死ぬわけにはいかない。藩に全財産を 返上して江戸を去り、名を変えて京に(香川景樹のツテか?)隠れた。やがて京都蘭学の祖として隠れもない存在になった。文化八年死去。緒方洪庵は孫弟子にあたる。 いく薬くすしき種のひとくさを豊あし原にまきし人これ 景樹 | |
十二155-169,260十三133 幕末九48 | |
「日本洋学人名事典」(1994.柏書房)・金子務「江戸人物科学史」(2005.中公新書) | |
大槻玄沢/杉田玄白/石井庄助 |