ワシーリイ=ヒョ―ドロヴィチ=ロフツォーフ
公式文書にある本名は上記の通りだが、グレゴリーってどこから来たのだろう。旧名?仇名?
カムチャツカでぺニョブスキーの叛乱に加わっていたが、後で離脱し、ずっとあとでエカテリナ号の船長に。こんな前科者で大丈夫かとアダムたちは疑っていたが、いざ出発するとスラスラ日本についたので光太夫は感心した。
帰国後中尉になった。なお、イヌイットの少年を養子にしていた。
五14九13十一207-213,251,253,267-270,280,283十二33-44
E・「大黒屋光太夫」(1964.吉川弘文館人物叢書)
ぺニョヴスキー/キリル・ラックスマン/アダム・ラックスマン/大黒屋光太夫

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