アレクサンドル=ニコライヴィッチ=ラジシチェフ
1749年(日本では吉宗時代末期)生まれ。17歳でドイツ留学、ルソーにかぶれる。
帰国後司法官をしていたが、1789年 「ペテルブルグからモスクワへの旅」を匿名で出版。最初は検閲を通っていたのだが、あとから問題になってシベリア流刑に処せられる。光太夫と会うのは井上靖のフィクション らしいが、しかし見事なフィクションだとロシア人も褒めている。
1797年エカテリーナ女帝の死で恩赦が行われ、首都に帰って民法典の作成に参加。 しかしプランが過激すぎてまた危険になり1802年(レザノフが出発した頃)自殺。その後再評価されて1949年に生誕200年記念行事が行われ、いまやロシア国定教科書にも載っている。
十一55-72,124
幕末五209
相田重夫「シベリア流刑史」(1966.中公新書)・「群像日本の作家20・井上靖」(1991.小学館)
エカテリーナ女帝/キリル・ラックスマン/ルグロ夫人/ 大黒屋光太夫

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