やまのうちかずとよ山内一豊
※山内家子孫は「やまうち」と名乗っているそうだが、ここでは作中表記に従う。
土佐藩初代藩主。もとは岩倉織田家の家老という家柄だったが信長に攻め滅ぼされて、秀吉与力から再出発することに。こつこつ働いて六万石になる。 本来徳川への押さえとして掛川に封じられたのだが、主家の親戚の草履取りのそのまた茶坊主に味方する義理はなかった。
小山評定では堀尾忠氏のアイデアをパクって掛川城を 提供し、戦わずして土佐を手に入れた、というのは新井白石説。
慶長十年没。
二33-67,293十九177-179
幕末十六103
A・「山内一豊のすべて」(2005.新人物往来社)
山内一豊の妻/長曾我部盛親/織田信長/豊臣秀吉 /徳川家康/山内の二代目とデキてた浪人

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