かきざきのぶひろ蠣崎信広
武田信広
※若狭武田氏は信玄の八代前に分かれた一族だが、高野賢彦「安芸・若狭武田一族」(2006.新人物往来社)のどこにも信広という名は見当たらない。
安東政季が蝦夷地に渡った時いきなり名前が出てきて、コシャマインの乱のドサクサで蝦夷和人の総大将にのしあがった。政季の娘を蛎崎の養女として娶り、支配者の名分を確立する。 明応三年没。その後蛎崎家は慶長四年松前家に改称。
※長谷川町子「サザエさん旅あるき」には、松前家の子孫が学生時代の友達として出てくる。
八123-154
A・榎森進「アイヌ民族の歴史」(2007.草風館)
コシャマイン/蛎崎季繁/安東政季/南部光政 /蠣崎波響

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