あんどうまさすえ安藤師季?
※蝦夷地研究は人によって解釈がぜんぜん違ってくる。ここでは私が読んだ一番新しい本に基づいて書いてみます。
例の偽書は信ずるにたりない が、安東(安藤)氏が鎌倉幕府公認の奥州統括者だったのは確かである。しかし湊・潮潟などに分裂して争っている間に南部氏が進出、永享四〜嘉吉三年に十三湊を攻め落と され本家は滅亡。南部氏は潮潟系の政季を総領に担ぎ出して「安藤太」を名乗らせた。まあ傀儡政権である。
しかし政季はこの状況に甘んじておらずやがて反旗を翻 した。享徳三年に武田信広と通じて蝦夷地に渡り自立する。しかし南部氏はアイヌ世界にも手を伸ばして叛乱を煽ったりするのであった。
政季は南部氏と対決するべく、 出羽の同族を頼って康正二年に本土帰還。十三湊を奪回しようとするが果たせず長享二年に戦没。
これで安東氏が滅び去ったわけではなく、檜山系に再統合され三春 藩主・秋田家として存続しました。良かったね。
八126-142,152,154
A・森山嘉蔵「安東氏」(2006.無明社)・榎森進「アイヌ民族の歴史」(2007.草風館)
蛎崎信広/蛎崎季繁/南部光政/コシャマイン

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